「今」から始めればいいじゃない

趣味物書きによる「表現」に関するあれこれ

探すものではなく、気がつけば傾けて注いでいるもの

ある一つの何かに熱量を傾けることへの憧れ

今朝は何故かデイビット・ギャレットのライブ映像の夢を見たsakuracoです。

デイビット・ギャレット、カッコいいですよね。

イケメン演奏家、イイ!

音楽についても彼についてもさほど詳しくはありませんが、彼の音もライブ映像も躍動感があって、音楽の快さみたいなものが伝わってくるところが好き。

 

さて。

そんな今朝の夢に影響されて出てきたキーワードはこちら

 

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「情熱」

 

ああなるほど。

最初の形容詞から導かれたキーワードまで、ものすごくデイビット・ギャレットに引っ張られた感があります(苦笑)

彼のライブ映像とか見てると、情熱が垂れ流しな感じがしますから!

 

あなたは「情熱」に対してどんなイメージを持っている?

情熱

パッション

その言葉はよく使われる言葉であり、割と私の中で引っかかってくるキーワードでもあります。

 

あなたは「情熱」という言葉に、どんなイメージや感情を持っていますか?

 

私は常にこの言葉にいくばくかの憧れと嫉妬と劣等感を覚えている。

 

正確には、「情熱」と言うか、

「情熱を傾ける」と言う姿勢か、

あるいは、「情熱を傾けることができる人」

そして「情熱を傾けるもの・ことがある人」なんだと思いますけれども。

 

情熱、と言う言葉には爆発的なのに持続的な、内からなみなみと溢れるエネルギーの液体、みたいなイメージがあります。

まるで溶岩のような、火花を散らしながら液状になった鉄のような、それがこんこんと溢れてくる、そんな感じ。

英訳であるパッション、と書くと、もっと刹那的な、でも爆発力のあるエネルギーと言うイメージです。

そして私は、傾けて注ぎ込むものというイメージを持っている。

私にとって情熱は、重たいのに爆発力のある液体のような、そして傾けて注ぎ込むまでがセット。

 

実際「情熱」を辞書で紐解くと

 

じょう‐ねつ〔ジヤウ‐〕【情熱】

ある物事に向かって気持ちが燃え立つこと。また、その気持ち。熱情。「研究に情熱を燃やす」「サッカーに情熱を傾ける」「情熱家」

(出典:デジタル大辞泉小学館)) 

 

 ということのようです。

気持ち、心の熱量、エネルギーが、まるで火のように燃立つ感じ。

情熱家、と書くとまるで熱血のようにも思えます。

人でいうなら松岡修造さんみたいな。

音楽だったら「情熱大陸」一択ですね。

 

「情熱を注ぎ込む」ことへの自己イメージと感情

私は「情熱」に対して、注ぎ込む熱量的なイメージを持つと同時に、その行為にさながら職人のような繊細さと集中力を必要とするもののように捉えているようです。

いや、職人のように極限の集中と繊細さを傾け徹底できる熱量こそ情熱だと思っているようだと、このキーワードについて思いを馳せながら自分を観察していました。

 

これが、ひょっとしたら、「情熱を傾けること」に対する憧れめいた理由でもあり、同時に私にとって「情熱を傾けること」に対するハードルをガン上げしているのかもしれないな、と感じます。

 

私は昔から「何かに情熱を傾ける」という行為に対して、どこか一歩引いてしまうような、斜に構えるような、傾いた姿勢でいたような気がします。

一方で、「何かに情熱を傾けている人」に対して、ものすごく憧れと同時に嫉妬や劣等感を持っている。

それは私自身が「何かに情熱を傾けたい」と、没頭したいと思っている何よりの証拠だと思います。

嫉妬や劣等感を感じる、ということは、裏を返せば「私もそうありたい」であったり、「私にも本当だったらできるはずなのに」と思っているという証左なのだから。

 

しかし、肝心の「情熱を傾ける対象」が何か、ということに関して途方に暮れる。

 

私、一体何に情熱を傾けたいのだろう?

何なら極限の集中に熱量を注ぎこめるだろう?

 

おそらく、はたとして振り返った時に注いでいたもの

多分、情熱を傾け注ぎ込む先、というのは探してもなかなかわからない、というか、自覚できないものなのではないかなと思う。

先に集中して、没頭して、自分を注ぎ込んでいて…そしてはっと気がついて振り返った時、多分「情熱を傾け注ぎ込んでいた自分」と「自分が情熱を傾け注ぎ込む対象」に気がついて、自覚するのではないか。

 

その状態になっていることが先なのでしょう、きっと。

 

そうなっている時、情熱を傾け注ぎ込む対象は自分のそばにある。

なら私は一つ一つの行為に繊細の注意を払い、集中力を保って色々試していくほかない。

もう一つ言うなら、「情熱を傾け注ぐこと」に対するイメージのハードルを、もう少し下げた方がいい。

これまでの人生で「情熱を傾けてきたこと」を振り返ると途方に暮れてしまうくらい思い浮かばない上その空白にまた劣等感を覚えてきたものだけれど、これまでに大なり小なり没頭や熱中したことがあって、でもそのイメージのために「情熱を注いだ」という自覚がないものもきっといっぱい転がっている。

それらを振り返ることは、自分の適正、情熱を傾ける先を絞るヒントになるはず。

そうして絞りながら、出会ったものごとに集中し、より集中できるものだけを残してさらに没頭する。

 

多分、そうしているうちにきっと私も「情熱を傾け注ぐ人」になれるだろう。

そしてあなたも。

 

 

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