自作自演の自慰行為上等。私を一番ときめかせることができるのは私なの!
とてもエゴイスティックだなぁと思うのだけれども、私が小説を書く理由は
頭の中に溢れ出す物語を吐き出したい
というのと同時に
私好みの、私が読みたい物語を読みたい
という欲のためだと、私が書いた小説を読み返して思いました。
だって、私が書いているんですもの。
私のときめきのツボは私が一番分かっていたりする。
文章運びとか、言葉選びとか、今だったらもっとこうするということが数ヶ月前の作品でも見えてくるものだけれども、それはさておき。
こう、数ヶ月前に書き上げた話を改めて読むと案外忘れてしまっているから、なんだか新鮮な気持ちで読める。
そして、ああ、そうそう、と自分のツボを押されてキュンとなる。
自作自演の自慰行為
上等じゃないか、と思う。
同時にこうも思う。
自分一人、楽しませることのできない作品の、何が楽しいんだ、と。
趣味だからこそ、余計にそう私は感じました。
私が文章を読むのは、何か発見が欲しい。
ハッとするような驚きが欲しい。
疑問がするんと解けるような快感が欲しい。
そして、ワクワクするような、キュンとするような疑似体験が欲しい。
だから、本を読むし、ネット小説も読む。
人様のブログを拝見もする。
心を動かされたい、その欲求のために、私は読むのだと思う。
先日読んだ本にこんな言葉に出会いました。
一話一キュン
(引用『ふむふむ 教えて、おしごと』 著 三浦しをん
萩原優子さんの言葉より)
これですよ!
私は思わず膝を打ってしまいました。
何か読むなら…小説を読むなら「1キュン」が欲しい!
「1キュン」じゃなくても「1ハッ」ても「1へぇ〜(古)」でもいい。
それが「読んでよかった!」につながるのだから。
なので私はこれから小説を書く際
1話1キュン
を忘れず描写しようと思った次第。
さて、あなたは何を思って作品を作りたいと思うのか、考えたことはありますか?
なんで私は書(描)くんだろうって、改めて振り返ったことはありますでしょうか。
何が表現したいんだろうって。
頭の中にあるイメージを、なんらかの方法でアウトプットしたい。
その衝動だけで作り上げるのもありだと思います。
でも、あなたは何を得たくて、何を感じたくて、作品に触れて、作品を作りますか?
それが自分の作品だけじゃなくて、他の誰かのものであっても。
少なからず、自分の作品というのは、自分で振り返って自分で見聞きしたいものを作っているんじゃないかなというのが私の持論です。
それは情緒の部分に訴えるものかもしれないし、テクニックの主張かもしれない。
なんでもいいと思います。
そのとき、あなたがアウトプットしたいものって、多分あなたが触れたいものと表裏一体。
それをちらっと頭の片隅において、時にはテーマにして、作品作りをしてみるのもきっと面白いと思いますよ。
そんなことを思いながら、私はまた自分が書いた作品にキュンとする。
たまにはそんな、エゴイスティックでナルシストな時間も乙なものです。
拙くとも自分で書いた作品を楽しめるなんて、最高じゃありませんか!