「今」から始めればいいじゃない

趣味物書きによる「表現」に関するあれこれ

AIは人から夢を剥奪するのか?

先日気になる記事を見かけた。

ブクマし忘れて、結局うっかりタブも消してしまったため、どなたの記事だったのかをきちんと引用できずに申し訳ありません。

その記事の内容というのが

 

  • AIの進化によって電車の運転手やそのほか、「子供の夢」になるような職業が将来なくなってしまうようだ。
  • 夢になるような職業がなくなっていく未来を生きる子供に、どうやって夢を見させたらいいのか

 

という記事でした。

この記事を拝見して、個人的に「そうだな」「そうなるな」と思ったのと、「何か違うな」と私は思いました。

特に「何か違うな」について、私が考えて感じたのは2つ。

 

  • 技術進化とともに生まれては消える職業の変遷は今に始まった事ではない
  • 夢は大人が子供に見させるものではなくて、子供が自ら見るもの

 

前者は、古来からの営みまで遡れるとは思いますけれども、特に産業革命以降、日本だと明治以降や戦後からでも仕事の変遷というのはよく分かると思います。

電話が普及して、電話交換手という職業が生じて、今や電話交換手なんて職業はない。

多分、それと同じです。

何もAIの進化だけが仕事がなくなる要因ではない。

技術の進化は社会も仕事も変えていく。

では、技術の進化で未来への夢はなくなったのか、といえばそれはイコールの関係じゃない。

新しいものが生まれれば、同時に新しい夢やゴールが生まれる。

100年前の人が宇宙に行く、という夢は笑い話でしたでしょうけれども、今は宇宙旅行の企画だってあるくらい現実的な話。

それだけのことです。

 

後者については、多分筆者の方は「子供が電車の運転手になりたい、って言っても将来その職業はなくなっちゃうんだよっていう現実にどうするのか」ということを言いたいんだと思います。

個人的な見解にはなりますが、それって大きなお世話じゃないかなぁ、と思いました。

その夢や興味って、その子の「種」なんだと思います。

電車の運転手、というものに夢を持ち、興味を持った子が、それを追うにつれていろんなことを知っていく。

その中で、電車の運転手というものを突き詰める可能性もあるし、電車の運転手について調べて学ぶ過程で、電車そのものの開発に興味を持つこともあれば、交通機関というものに興味を持ったり、あるいはサービスというものに興味を持つかもしれない。

電車の運転手というのは、一つの種でありきっかけ。

そこからどう育ってどう変遷するか、全てはその子だけのもの。

周りの大人がワイワイ言って「見させる」ものではないのではないかな、と私は思います。

だからこそ、大人が自らの在り方で夢を追うことや生きることを子供に示すものではないのかな、と。

 

芸術、エンターテインメントの分野だって、AIの進化で「人にウケる、喜ばせるものを量産できる」時代がくるかもしれない、という話も耳にしたことがあるので、そう考えると小説や漫画、表現分野だって「電車の運転手」並みに危うい分野なのかも。

だからこそなおさら、「なぜ表現したいの?」って話になるんじゃないかな、と思います。

 

そんなことを考えさせてもらいました。

有り難うございます。

 

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