「今」から始めればいいじゃない

趣味物書きによる「表現」に関するあれこれ

ウケ狙い、なら本末転倒なんじゃないかなと思う今日この頃

何で書(描)くの?

 

そう問われた時に、あなたならどう答えますか?

 

 

問われると人は答えを探しだす。

それはもともと持っている人の、脳の性質です。

問題は出てきた答えの方です。

 

 

たとえば、小説を書きたい。漫画が描きたい。

あるいは写真や切り絵、詩などを作って投稿する。

そうあなたが思った時、「それはなぜ?」と他人や自分から問われたたら、何て答えるでしょうか。

 

楽しいから?

かっこいいから?

いいねしてもらえるから?

向いてるから?(あるいは向いてると言われたから?)

一つ当てれば儲かるから?

 

 

私がこうしてここで、もしくは他で、どうして文章を書くのだろうと考えたとき、やはり色々な思いが浮かびます。

あわよくば仕事に繋げられたらありがたいし、この辺は割と模索しています。

上手い下手はともかくとして、文章を書くということ自体に苦労することはあまりありません。

割と色々な話のネタを探すことも、雑学好きには楽しいこと。

でもやっぱり、一番は

 

私が書きたいと思ったから

 

どうしたって私の中にある言葉や情報を外に出したいと思うから。

降りてきた意味やイメージに文字という形をまとわせたいと思うから。

こんな素敵なアイディアや知恵、独占するのは勿体無いと思うから。

 

思わず書かずにはいられないから。

 

だったら、これほど幸せなことはないなぁ、と思うのです。

向き不向きや、お金になるならない、は後からついてきて、そうだったらさらに嬉しいもの、であって、それが目的や動機ではない。

 

向き不向きやお金儲けは大切です。

しかし、もしあなたにとって文章を書いたり漫画を描く理由がそれだけなのであれば、すこし自分を省みた方がいいかもしれない。

これだけ娯楽もツールも仕事も溢れているからこそ、ぶっちゃければあなたが創作する必要はない。

それでも創作したいのはなぜなのか。

表現したいのはなぜなのか。

 

その回答に、その人の情熱が感じられるものは、個人の趣味であろうと、商業物だろうと、目や耳や他の五感で触れてとても心が動かされるし、インスピレーションや受け手の情熱に火を灯すような力がある。

 

そういうことなのだと、私はようやく思い至りました。

 

 

書きたくて、表現したくてたまらない事を書けるって、幸せ

 

お金のことや向き不向きを別にしても、多分評価やいいね、反応(もしくは無反応)を気にし過ぎてしまったりするのって、この事を見失っているんじゃないかなと思う。

もちろん、誰かに反応してもらう、褒めてもらえることはとても嬉しい。

けれどもそれを期待するから、表現することが苦しくなるのではないでしょうか。

それを目的とするから、受け手の反応一つに振り回されて、迎合しようと、「ウケる」ものを発信しようとしてしまうのではないでしょうか。

 

私はそれって、かなり本末転倒なんじゃないかなぁと感じます。

その表現をしなければ死んでしまうような切実さがあるならともかく。

お金も生じない趣味の範囲のことならなおさら。

 

 

どうしてあなたは表現するの?

その手段を使って表現したいと思うの?

 

このことは折にふれて考え、頭にとどめおきたいことだと私は思います。