「今」から始めればいいじゃない

趣味物書きによる「表現」に関するあれこれ

「意識しなさい」って、何をどう意識するというの?

「意識して**しなさい」

 

 

この言葉、子供の頃から大人になって社会人になってもよく言われるし、よく使う言葉だと思います。

 

「**を意識して…」

「意識して**しなきゃダメじゃないか」

「もっと意識しなよ」

 

前職、真っ当ながら割と厳しい上司にしょっちゅう言われていた覚えがあります。

ごもっとも。

ミスしたりなかなか成果を挙げられなかった私には必要な言葉で、かつ耳に痛い言葉でした。

ミスをしたり、的を外した仕事をしていた私は確かに意識の仕方の的も外していたのだと思います。

 

さて、当たり前のように使われるこの言葉ですが、私はいつも疑問に思っていたのです。

 

「意識するって、何?」

 

と。

あまりにも便利すぎて、「意識する」とは具体的に何か、という説明が抜けている。

そして、その具体的を問うことはナンセンスというか、己の不覚や劣っている点を露呈するようで、歳をとるほど確認することが躊躇われる。

更に言えば、子供の頃は「意識するって、なに?」と多分聞いたことがある。

けれども、よく分からない回答を得て、漠然とわかったような、実はよく分からないまま未消化だけれども、まあいいかで済ませてきた。

そのような経験を重ねて、「意識する」ということは何となく分かったような、しかしいまいち要領の得ない概念として記憶され、身につけてきた。

そういうことって、「意識する」という言葉や概念だけではなくて、他にもいっぱい色々あると思います。

 

こういう、意味するところが大きい、言い換えれば曖昧な言葉って、人によって指している意味や内容が違うことが多いです。

それを、なんとなく包める大きな風呂敷の言葉で包んで、投げ渡す。

受け取れない、開けない、理解できない相手が無能だと言いたげに。

そういう相手に、「あなたに取って、今の事柄について意識するとは何をどうすることですか?」というのはなかなか確認しづらい。

いや、仕事ですもの。

確認するのも仕事のうち、ですけどね。

 

最近、筋肉のデッサンと陰影の付け方を解説している方の投稿を見て、「意識する」ということはそういうことか、となんとなくストンと落ちてきたことがあります。

その人は明らかに「意識して」筋肉を書いていた。

筋肉を「意識して」、陰影をつけていた。

パッとみた完成図は何でもないようなのに、解説を見てもう一度完成した絵を見ると、明らかに違うことが素人目でも理解できました。

それはその人が、「筋肉を意識して、筋肉のパーツごとに目印をつけて、それに沿って陰影をつける」事を意識して書いていたから。

それを見て私は思いました。

「意識する」というのは、その行為の先の目的を頭に置いて、考え、分解し、行い、修正し続ける行為なのではないか。

 

具体的な例をあげます。

最近私はずっとスクワットを続けているのですが、ただ膝を曲げ伸ばしをしている訳ではありません。

このぷくぷく丸々とした太ももを細くスッキリとさせたい。

太ももの隙間を開けたい。

内股の肉を削ぎたい。

垂れたお尻の、とりあえず垂れた部分を無くしたい。

そう願い、考えながらスクワットをしています。

するとやっぱり、やるときも考えます。

膝を曲げるとき、お尻や腰の角度を変えたらどうか、とか。

膝の開き方でどこに力が入るか変わるかな、とか。

そう考えるうちに、こうやってやると内股がキツイ、裏腿がキツイ、つまり効いてるってことが分かってくる。

そんなことを考えながらやっているうちに、まだ細いとは到底言えませんが、内股に隙間ができてきました!

太ももも3cm減りまして、スクワットも続ければ効果があるもんだと思ったものです。

 

さて、この事を「太ももを意識してスクワットをした」とあっさり一言で言い換えることが可能です。

ええ、「意識した」んですよ。

けれども、「はい、意識して行動して!」という指示だけでは、あるいは自分で漠然と考えているだけでは難しいと思いませんか?

 

「意識する」のは何か。

どう「意識する」のか。

それはなんのために「意識する」のか。

そして「意識して」何をどう行動するのか。

 

ここまできたら、正直「意識して」という言葉を使わない方が早いような気がするなぁ、と思わなくないです。

まあでも、便利な言葉で、多分誰かとコミュニケーションする中で、この言葉が使われなくなることはない。

では、自分で使おうとするとき、誰かに言われたとき、それが具体的にどういうことかを考え、行動するように、必要があればその噛み砕いたものことや認識で間違いがないか確認する。

そんな意識を持つ。

それが大事なのではないかと私は考えます。