「今」さらはじめてなんになる?
「今」から始めればいい
というのは、数日前に私の脳裏にポンとおりてきた言葉でもあり、戒めでもある。
私は結構腰が重い。
思いつきはするのだけれども、その思いつきを実行するまでにあーだこーだと悩む。
と言うよりも、悩んでいるのはポーズであって、ただ先送りしているに過ぎない。
そうして一週間経ち、一ヶ月経ち、そうこうしているうちに秋を迎えてハッとする。
「あ、もう月末(あるいは年末)になってしまった」と言うことに気付いた時に、いつも「あの時からやっていればなんらか積み上がって形になっただろうに」と言う後悔と落胆。
その間、何かをして残した記憶も記録もなく、ただただ時間を浪費してしまったことと、そんな怠惰な自分に対する感情は、渋くて苦くて、なんとも直視し難いものがある。
そして過去、何かを始めて続かなかった記憶が頭を過ぎる。
現状に息苦しさを感じて変わりたいと思いながら、何もせずに手を拱いて、怠惰に昨日と同じ日を重ねようとする。
それがしんどい、と心底思う。
振り返って過去を見て、「何もしなかった」と言うえも言えぬ後悔と落胆は、警告でもあると思う。
一週間後、一ヶ月後、半年後、一年後の自分が振り返った時にも同じことを思うのではないだろうか。
今始めれば、その時の自分は同じことを思わなくて済むと言う警告。
だから「今」から始めればいい、と私は思う。
気付いた時、我慢できなくなったその時から始めればいい。
その選択が、未来を変え、そのうち自分の中の過去の意味付けさえ変える。
いつだって、私は変わっていいのだ。