「今」から始めればいいじゃない

趣味物書きによる「表現」に関するあれこれ

「それをしないこと」は言い訳を用意してまで後生大事にとっときたいほどのものなのだろうかという問い

先日私が読んだ本に、嶋田将也さんの『世界一受けたい「心理学×哲学」の授業』という本の中に、こういうこういうことが書かれていました。

 

言い訳がやめられない理由は、「言い訳してしまう」抗いようのない仕組みがあるから 

 

どういうことかというと、

 

心は
  1. 環境(天気など)
  2. 経験・出来事
  3. 他人(人間関係) 
に影響される(=感情が変わる)

 

つまり、自分の外の出来事によって気持ちや感情が変わるということです。

その上で、あなたも私も何かがあった時、自分の外の出来事を理由に言い訳をする。

なぜ言い訳をするのか。

それが次の『「言い訳してしまう」抗いようのない仕組み』です。

 

言い訳がやめられない理由は三つある。

  1. 先に出した「環境・経験・他人」という事実は、他者を納得させる弁解材料になりやすい
  2. 言い訳する方が楽
    (「人の脳は楽な方に進むようプログラムされている」という脳科学茂木健一郎氏の引用)
  3. 言い訳する方が自分を守れる

 

これを読んで私は深い納得をして思わずうなりました。

これが「言い訳をしてしまう」という人のしくみか、と。

身に覚えがありすぎて、そしてこんなことまで論理的に分析されているものなんだといううことに敬意を感じずにはいられません。

 

さて。

なんでこんなお話から始めたのかと言いますと、私も私の「外のものごと」を理由にこれまで随分言い訳してきたし、今尚言い訳して逃げていることはないかなと思ったからです。

 

例えば、時間がないから。

例えば、雨のせい。

例えば、頭がいたい、生理痛といった体調不良。

例えば、それをする前に資料を集めなきゃ。

例えば、それをする前にやり方がわからないから調べないと。

例えば、材料や道具が揃ってないから次の機会に。

例えば、お金がないから無理。

例えば、クライアントが無茶振りしてきたから。

例えば、子育てでてんてこ舞い。

 

例えば…。

例えば…。

 

こんな風に。

あなたも言い訳を重ねて、何かをあとまわしに、あとまわしにし続けていませんか?

 

当然どうしても「どうしようもない」ことだってあります。

そうやって後回しにし続けているものは、脳裏にこびりつくだけこびりついて、実は大したものではない、という可能性だってなきにしもあらずなんですが、一方で「言い訳」を用意してまで後回しにするそれって、あなたにとってどういうものなのだろう。

その割にいつも「やりたい」「したい」「ほしい」と言い続ける。

そしてどうして言い訳をしてまで後回しに、後生大事にとっとくんだろう、と思わずにはいられません。

 

私自身を振り返るに、それは大まかに分けて2種類に分かれるんじゃないかしら、と思う。

 

  1. やって、できてしまったらどうしよう
  2. やって、できなかったらどうしよう

 

相反するようですが、割と矛盾なく誰の中にもある恐れだと思うんです。

そんな事態を心の片隅に想定している。

だから、後生大事に温めている。

時間がない、忙しい、タイミングが、道具が、資料が…etc etc

そんな風に、言い訳を探して、引っ張り出してくる。

人間、そして無意識って面白いもので、無意識に本当に希望する状況を、無意識に整えるんですよ。

だから、例えばあなたがずっと温めているアイディアが、ネタが、作品があったとして、それを実現するに至っていない、いつだって状況が整わないのであれば

 

言い訳してる可能性、大いにあります

 

 

嶋田将也さんはこうもおっしゃっています。

 

「言い訳」をしていると外側の存在にどんどん支配されることを先ず知ること。 

 

つまり、自分の外の出来事を引き合いに言い訳をしていると状況はどんどん悪く、不利になるよと言っています。

そしてその不利を裏付けるために、どんどん言い訳を重ねて、最後には身動きが取れなくなる…

下手すれば気づいた時には、気力体力を失って死の床についていた、なんてことだって最悪あるわけです。

 

 そのアイディアやネタも、時間がたてばたつほど脳裏に、心にこびりつくけれども、どんどん陳腐化していきます。

この間も言ったけど、腐ります。

 

 

sakuraco11.hatenablog.com

 

だから、私は思うんです。

 

そのアイディアやネタ、やりたいことって、言い訳を用意してまで後生大事に頭の中に抱えて腐らせておくほどの価値があること?

 

と。

そして

 

その理由(言い訳)、本当?

 

って。

 

例えば、どうしても時間がたった5分しかないならば、その5分でアイディアを、ネタを、台詞の一部をメモることくらいならできる。

5分でできるデッサンをする。

30分時間ができた時の段取りを考える。

これくらいはできるわけです。

意外とね。

 

だから、したいやりたい、かきたい、「けど…」って理由が出てきたら、確認してみてください。

 

その理由(言い訳)、本当?

 

って。

多分、後から後から出てくる言い訳にびっくりしますから(笑)

ウケ狙い、なら本末転倒なんじゃないかなと思う今日この頃

何で書(描)くの?

 

そう問われた時に、あなたならどう答えますか?

 

 

問われると人は答えを探しだす。

それはもともと持っている人の、脳の性質です。

問題は出てきた答えの方です。

 

 

たとえば、小説を書きたい。漫画が描きたい。

あるいは写真や切り絵、詩などを作って投稿する。

そうあなたが思った時、「それはなぜ?」と他人や自分から問われたたら、何て答えるでしょうか。

 

楽しいから?

かっこいいから?

いいねしてもらえるから?

向いてるから?(あるいは向いてると言われたから?)

一つ当てれば儲かるから?

 

 

私がこうしてここで、もしくは他で、どうして文章を書くのだろうと考えたとき、やはり色々な思いが浮かびます。

あわよくば仕事に繋げられたらありがたいし、この辺は割と模索しています。

上手い下手はともかくとして、文章を書くということ自体に苦労することはあまりありません。

割と色々な話のネタを探すことも、雑学好きには楽しいこと。

でもやっぱり、一番は

 

私が書きたいと思ったから

 

どうしたって私の中にある言葉や情報を外に出したいと思うから。

降りてきた意味やイメージに文字という形をまとわせたいと思うから。

こんな素敵なアイディアや知恵、独占するのは勿体無いと思うから。

 

思わず書かずにはいられないから。

 

だったら、これほど幸せなことはないなぁ、と思うのです。

向き不向きや、お金になるならない、は後からついてきて、そうだったらさらに嬉しいもの、であって、それが目的や動機ではない。

 

向き不向きやお金儲けは大切です。

しかし、もしあなたにとって文章を書いたり漫画を描く理由がそれだけなのであれば、すこし自分を省みた方がいいかもしれない。

これだけ娯楽もツールも仕事も溢れているからこそ、ぶっちゃければあなたが創作する必要はない。

それでも創作したいのはなぜなのか。

表現したいのはなぜなのか。

 

その回答に、その人の情熱が感じられるものは、個人の趣味であろうと、商業物だろうと、目や耳や他の五感で触れてとても心が動かされるし、インスピレーションや受け手の情熱に火を灯すような力がある。

 

そういうことなのだと、私はようやく思い至りました。

 

 

書きたくて、表現したくてたまらない事を書けるって、幸せ

 

お金のことや向き不向きを別にしても、多分評価やいいね、反応(もしくは無反応)を気にし過ぎてしまったりするのって、この事を見失っているんじゃないかなと思う。

もちろん、誰かに反応してもらう、褒めてもらえることはとても嬉しい。

けれどもそれを期待するから、表現することが苦しくなるのではないでしょうか。

それを目的とするから、受け手の反応一つに振り回されて、迎合しようと、「ウケる」ものを発信しようとしてしまうのではないでしょうか。

 

私はそれって、かなり本末転倒なんじゃないかなぁと感じます。

その表現をしなければ死んでしまうような切実さがあるならともかく。

お金も生じない趣味の範囲のことならなおさら。

 

 

どうしてあなたは表現するの?

その手段を使って表現したいと思うの?

 

このことは折にふれて考え、頭にとどめおきたいことだと私は思います。

腐らせてないで、究極恥ずか死ねるなら燃やしてしまえ

そのままにしておくと腐る。

 

食べ物なんかはもう(乱暴な言い方をすれば)生きているものではありませんから、冷蔵庫に入れておけば保存がきくといっても、いつか腐ってしまいますよね。

まあ、食べ物なんかは、色や形、匂いの変化でわかりやすい。

けれども色や形、匂いの変化はないけれども、放置することで腐ってるものって他にもあるんじゃないかしら、というのが私の考えです。

何って?

 

頭や心に生じたアイディア思いついたこ、そして感情です。

 

あなたにも経験はありませんか?

 

ふとした拍子に思いついた「妙案」と思えるようなアイディア

素敵なストーリーやセリフ、表情

「したい」と思ったこ

悲しみや怒り、苛立ち

 

そうしたものは、思いついた時には「忘れない」と思っていても、持ち続けることは難しい。

次の行動をしている間に、どんどん時間と情報と、新しい記憶に追いやられていく。

それでも「あの時何か思いついた(思った・考えた)ことがある」というのは妙に残る。

意識上から無意識下に潜ってしまっても、それは確かにあった。

 

問題はここからです。

 

思いついたこと、考えたこと、アイディア、感情…そう言ったものって、そのままにしておくと、大抵忘れてしまう。

冷蔵庫の奥に追いやってしまった食材や調味料みたいに。

あそこに何かがあった。

けど何だったか覚えてない。

けど、冷蔵庫の扉を開く時って大抵目的のものがあって、それが前面や扉のポケットにあったりするから、奥のものにまで注意がいかずに見えないまま。

何かがある。

そして何かはある。

けれども忘れられたまま…

 

食材なら腐ります。

アイディアや感情なら…?

 

その時は素晴らしい思いつきだったのに、時間の経過とともに陳腐なものになる、もしくは古臭いものになってしまう。

その時とてもしっくりとくる表現を思いついたこと、そのことだけははっきりとしているのに、肝心の内容を忘れてしまってその時に思いついたものを超える表現が思いつかずイライラする。

悔しさや悲しさをしまいこんで、飲み込んで大人として振舞っているうちに、とりあえずは立て直しても苦いような重いようなものが漠然と残っている。

 

そんな風に、何だかずっと気にかかること、後悔、自分に対するネガティブな感情が、無意識のどこかにジクリジクリと残って積もって、増えていく。

そうした漠然としたネガティブな感覚って、増えるんですよ。

漠然としているから、曖昧だからこそ、ぼんやり、でも確実に、自分の中の何かを腐らせていく。

まるで冷蔵庫の奥に追いやった食材みたいに。

 

だからこそ、アイディアや思いつき、そして感情というものは、一度頭の中から出すことで自分から切り離す必要があります

冷蔵庫の中身を一度全部出して整理と掃除をする時みたいに、頭の中身も出してしまうんです。

 

思考を自分から一度出して、切り離す。

 

手っ取り早いのは書き出すことです。

人によっては絵や図でもいいでしょう。

 

そうすることで自分の頭と心の棚卸しができます。

そしてアイディアや感情から一歩引いて、それらを観察することができます。

そうして見た時、そのアイディアや感情は、案外気にするほどでもなかったと思うかもしれませんし、別の見方をして他のものと組み合わせられたり関連づけられるということに気づくかもしれない

もしかしたら、もっと素敵なものに化けるかもしれない。

ひょっとしたら自分にとって死ぬほど恥ずかしくて苦い経験が掘り起こされたとしても、それがストーリーのタネになるかもしれない。

そういうことって、実は頭の中でこねくり回していても案外気づけないし起こらないものなんです。

特に思考を俯瞰することに慣れていない人は。

 

その辺のチラシの裏や印刷の裏紙でも構いません。

箇条書きや単語でいいから、書いてみる。

時間がなければとっかかりだけメモして手帳にでも挟み、仕事上がりや用事の隙間時間にでもじっくり続きを書き出してみるといいです。

 

まずは自分の中の棚卸しをしましょう。

 

究極、残ったら恥ずか死ねる内容なら、シュレッダーにかけるか、台所で燃やしてしまえばいい(火の元にはご注意あれ)

 

頭の中で腐らせてないで、一度表に出してしまいましょう。

型にはまる、というのは自由な表現の一歩である

型にはまる

 

ということについて、あなたはどのようなイメージをもっているでしょうか?

ネガティブなイメージ?

「型にはまったひと」なんてなんて表現はあまりいいイメージがないことを考えると、つまらない、きゅうくつな、オリジナリティのないもののように思えるかもしれません。

 

しかし、あえて言います。

 

型にはまる、というのは自由な表現の一歩である

 

と。

 

 

昨日の記事でも書きましたが

 

 

sakuraco11.hatenablog.com

 

、というのはうまく使えば本当に楽に思考できるツールです。

そもそも、「考える」ということ自体、とてつもないエネルギーを必要とする行為です。

当然、脳もくたびれるんですね。

例えば、何か考えたいものがあるとするでしょう。

仮にAとします。

Aのことを、取り合えずメモしよう、図を描こうとするでしょう。

そこで素直にAのことをズバッと紙なりEvernoteにアウトプットできる人はいいんです。

できない人はあれこれ考えるわけですよ。

  • どう書いたものかな。
  • 図?とりあえず文字?
  • メモをするにしてもどう書こう?
  • 書いてるうちに何か違うアイディアが出てきたらいけないから余白は多めに…
  • ああ、そう書いたら紙面が足りない!
  • 「メモったはいいが…書いてるうちにあっちこっち行ってわけわからん」という過去の失敗のフラッシュバック

なんてことを、本題の前にして頭によぎる。

考えてしまう。

肝心のAのことについて考える前に、時間もエネルギーも使いすぎて疲れ切ってしまって、「もういいや」となってしまうわけですね。

 

肝心なのはAのことを考えることであって、その前の段階で考えすぎて疲れてしまっては意味がない。

型、というのはその前の段階を考えずに済むようにしてくれる道具の一つです。

テンプレート、フレームワークというのはそういうものです。

余計なことに時間もエネルギーも使わずに、大事なことを考えることに使う。

時間もエネルギーも浪費しない分、大事なことに全部注けるし、だからこそ思考を深めることもできれば発展させることもできる。

型、というのは本当に、時間もエネルギーも浪費せず思考に全力を注げるようにすることで、結果自由に表現するためのツールなんですね。

 

なので、型にはめなければならないという強迫観念や、型を使いこなそうと思うばかりに使い方に難儀して型に振り回されては、これもまた本末転倒なわけで。

  • 何のために表現するのか。
  • 何を考えたいのか。
  • そのためにどの型を使うのか。

ということを頭に置かないと、型の奴隷になってしまいます。

 

あなたも(そして私も)型と上手にお付き合いして、自由になりましょう!

自由になりたかったら、あえて縛れ

人は自由すぎると、案外不自由だ。

 

私はそう思っています。

目の前には真っ白なノート。

テーマ自由。

さぁ、書いてみろと言われて、ためらいもなく筆を進められるのは伸びやかで柔軟な、ともすれば子供のような自由さを持つ人や書きたいことが明確な人ではないかな、と私は思う。

今でこそノートや手帳に色々書けるようになった私ですけれども、未だに実は書けないタイプです。

色々考えるんですよ。

  • 何を書いたらいいんだろう

から始まって

  • 書き損じたらやだな(私は本当に誤字が多い。子供の頃から(泣))
  • 誰かに見られたら恥ずかしい
  • なんでもメモしたり絵を描けばいいって、どうやって?
  • レイアウトが見づらい
  • 綺麗(な字や絵)に書けない

…そんなことで頭がいっぱいになって、肝心なところがすっぽ抜けること、多々経験してきました。

いろんなノート類や手帳類、ツールを使っては同じところをぐるぐるとしていたような気がします。

だって何を書いていいかわからないんですもの。

どう書いたらいいのかわからなかったんですもの。

書きたいことはたくさんあるはずなのに、どうしても書けない。

書き方がわからなくて。

誰かに見られたら恥ずかしくて。

けど埋まってない、真っ白なノートや手帳の紙面がものすごく恥ずかしい…。

 

うん、そもそも何がしたかったんだっけ?

どうしたかったんだっけ?

私はどうなりたかったんだっけ?(笑)

 

 

そういう人ほど、型(フォーマット)が重要です。

 

があるだけで書けること、進むことはたくさんあります。

そもそも、「何をどう書いたらいいのか」という根本に迷い費やす時間をサクッと短縮できます。

、と聞くとなんだか不自由な気がいたしますが、実はそれがあることで自由になることもある。

いっぺん型にはめるからこそ、その型の改善点や、自分に合う方法を見つけることができる。

 

一回何かの型にはめて、しばらくそれを遵守する。

 

意外と効果ありますよ。

あと、大事なのは一定時間ちゃんと使って振り返ること

使用感や改善点なんかは、振り返ってこそ見つかるものです。

三日しか続かなかった?

それは多分、型なのかやり方なのか、心の傾け方なのか…色々あるとは思いますが、それもまた改善ポイント。

何がやりにくかったのか、何が億劫になってしまったのか、何が続けることを妨げたのか…

それを探るのはまた別の題になりますが、それを追求するのが振り返りです。

 

こうした自分の中や範囲内でのアウトプット、表現の仕方を見つめてみる。

一つの型を用いて実験してみる。

イラストにしても文章にしても、こんな個人的なアウトプットから質を上げていくことができるのではないかと思う次第です。

 

 

余談ですが、最近気になる型は「脚本の作り方」と「バレットジャーナル」。

 

前者は今更ではありますが、今だからこそ読んで納得したもの。

もう少し研究を進めながら、自分の作品作りにも導入するべく試行錯誤しております。

シナリオを一つ書くにしても、論理や型がちゃんとある

思いついたまま終わりに向けて並べて書いていくのではなくて、そうした型の知識を踏まえることでもっとお話作りの質を上げられるのではないかと考えております。

 

後者は特に、最近本が出版されたこともあってか、手帳術や手帳沼界隈ではものすごく話題ですね。

参考になる点も、美しすぎて参考にできない点も多々ありますが、それも含めて勉強になります(苦笑)

ほぼ日手帳やEDiT、ジブン手帳、測量野帳など、自由度の高い手帳やノートを使おうと考えている人ほど見ておいて損はないかな〜と思います。

不器用者が時間感覚を養う方法

私はこの歳になってもまだ時間の感覚をつかむことがどうも得手ではありません。

特に、未来の時間の感覚をつかむことがうまくないのです。

通り過ぎた時間についてはまだ何となく体感で分かります(いや、本当は分かってないのかも?)。

ですが、一週間後、一ヶ月後、半年後、一年後、三年後…といった時間感覚をリアルに捉えること、この未来の時間の感覚をつかむことは私にとって割と難易度の高いことです。

だから仕事上で

「今月ももう●日しかない」

「今期は後●日しかない」

「…だから各自それを念頭に置いて行動するように!」

ということをよく言われ、私も分かったふりをしながら、その実いまいち実感として乏しく頭の中を混乱させて、ただただ気が急いでいただけのことをよく覚えています。

 

もちろん、向き不向きや脳の処理の得意不得意でどうしてもそういう見方が下手な方は一定数います。

が、割と訓練次第かもしれないなぁとも思うのです。

 

 

未来の時間感覚をつかむ手っ取り早い方法。

それは

 

カレンダーを書いてみること

 

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↑これは最近流行りのバレットジャーナルの真似っこwセンスのなさは見逃してほしい

 

いくらでも手帳は売ってるし、便利アイテムもある。

そもそもデジタルで管理できる。

でもあえて手でカレンダーを書く

しかも、ただ曜日とか日付を間違わないように、数字だけ追うのではなくて、

 

  • この月は●●さんの誕生日だったな
  • この月で私はxx歳になるの!?
  • ああ、毎年この時期は家族で旅行していたな…
    するとこの時期くらいには行き先の検討と、宿とか乗り物の予約をしなきゃ
    毎年バタバタするから…
  • この時期は期末で忙しくなるな
  • この時期は梅酒(やら味噌やら)をつける時期
  • この時期はハーブの種まきの時期

 

等々、日頃や過去のパターンを振り返りながら数字を打っていく

 

この一連の作業をしているうちに、私の中で一年先の感覚が急にリアルになるから不思議です。

きっと七面倒臭く手で書いているからこそ得られたものでしょう。

まさに手で掴む感じ。

長年手帳やデジタルなスケジュール管理アプリなどを試しながらもとっかかりさえ掴めなかった未来への時間感覚が育ち始めた感じがします。

多分、用意されたものをそのまま使うのは、効率はいいんですが、そのぶん上滑りする感じがあるんだと思います。

すんなりいく分、自分の中に残らない。

流れて溢れて、曖昧なまま。

不器用者が器用でスマートに済ませようと繕ったり横着するよりも、泥臭く一つ一つやったほうが、実は身につくのかもしれません。

 

こんなまどろっこしいことに時間を割いている暇はない、と思われても、先の時間の把握ができないことで毎月、毎年バタバタしてしまうなら、一見無駄に見える手書きカレンダーを一度やってみると、案外発見やとっかかりを得られるかもしれませんよ。

 

そして未来の時間感覚の把握ができたら、次こそ何をしよう、ということも考えられます。

まさかそんな…!キャラクター作りと就活の共通点

最近私は思い至ってストーリー作りについての入門書を読みました。

その本を読んでいて私はあることに気がつき「おや?」と思ったものです。

何に気づいたのかといえば

 

キャラクター作りって、就活の時にする自己分析に似てない?

 

ということです。

 

どういうことかというと、物語のキャラクター、その個性は

  • 欲求(動機)
  • 能力
  • 価値観

で作られていて、これによって彼もしくは彼女の言動が決まってくるそうです。

つまり、この要素をしっかり考えて設定することが、魅力があって個を確立したキャラクターを作るポイントということ。

 

さて、基本的に就職活動にせよ転職活動にせよ、必ず自分自身や経験の棚卸しをするわけですが、その際重要になってくるのは

  • 興味
  • 経験
  • 能力
  • 価値観

なんですね。

ほら、なんか似てませんか?

 

  • 私はどんなことに興味を持っているのか。
    これから何をしていきたいのか。
  • 私はどんな経験をしてきたのか。
  • 私はどんなことができるのか。
  • 私はどういうことに価値観を置いていて、何を重んじ、何を許せないと思っているのか。

 

これらの主語を入れ替えて回答すると、キャラクターの骨格になります。

逆にいうと、しっかりとしたキャラクターを作れる人って、自己分析もできるはずなんですよね。

尤も、自分と向き合うことと、自分が作る架空のキャラというベクトルの違いがあり、その両者の間の差は確かにあるのですけれども…それはともかく。

 

ということは、ちゃんとキャラクターを作りたかったら、自己分析するようにその子のキャラクター分析をして、履歴書やエントリーシートを作ってあげたら割と細部までしっかりしたものを作ってあげられるのではないでしょうか。

その子になりきって、その物語の役の座をかけたエントリーシートを書く。

そして書き手としてそのエントリーシートを見ながら採用するか否か、採用するなら最終的にどのポジションにどう配置するかを考える…なんて、本気で就活じみてた気がします。

場合によっては某国の王様候補にエントリーするキャラクターのエントリーシートを作って、王様に採用するなんてこともできるわけですから、割と面白いような気がします。

王様採用試験なんて、普通はできませんからね。

作家業の醍醐味です。

作家業とは、ストーリーのアウトラインという経営方針に従ってキャラクターを採用し、配置して働かせる、経営者に近いものがあるのかもしれません。

 

 

履歴書やエントリーシートほどではなくても、キャラクターを作る際、最低限骨格として

  • 欲求(動機)
  • 能力
  • 価値観

は箇条書きでも、一行だけでも、作ってメモしておけばブレにくくなると思います。

物語上の経験を経ての変化や成長によるものではない、「そのキャラクターがするはずがない言動」をさせずに済むようになります。

是非お試しあれ。

 

そうじゃなくても設定詰めるのって楽しいと思う私は紛う方なき設定厨。

無意識にやっていたことが、割と理に適っていたようで納得ができました。

尤も、設定大好き設定厨には陥りがちな「設定倒れ」という別の問題があったりいたしますが…それもまた別の話。

 

 

以上、キャラ作成は就活に似ているということと、キャラクターを作るときは 

  • 欲求(動機)
  • 能力
  • 価値観

を押さえて、楽しく創作しましょうね、というお話でした。